<やっさもっさ 5月号>


全小学校で「やっさ踊り」に取り組み、「やっさ祭り」に出場できる環境づくりを目指して! 
放課後子ども教室で「やっさ踊り」に取り組んでいます!! 〜久井南小学校〜
みたかきいたか(連載コラム)

全小学校で「やっさ踊り」に取り組み、
「やっさ祭り」に出場できる環境づくりを目指して!


子どもたちが地域に愛着、誇りを持たなければならない

 昨今、テレビや新聞の紙面を騒がす青少年の凶悪犯罪や、いじめなどの利己主義的な事件が、全国各地で毎日のように発生しています。これらの事件は決して他人事ではなく、同じような事件が私たちの身近なところで起きても何ら不思議ではありません。
 では、なぜこのような事件が多発するのでしょうか?
 その原因のひとつとして昭和の時代には当たり前のようにあった地域との繋がり(ご近所付き合い)が希薄になった事により、他人に対して無関心で自分さえ良ければよい、自分を守るためなら他人を傷つけても構わないと考えるようになり、大人たちには想像も付かないような事件を引き起こしていると考えます。
 このような時代だからこそ家庭や学校の教育だけではなく、地域の大人からも自分の生の由来や郷土の歴史を学ぶことで、郷土を愛する心を学ぶことが人間形成の上で最も重要なことだと考えます。
 現在の三原市においても地域の伝統文化を学んでゆくことによって、自分たちの住む地域について知り、先人たちの生き方から、自分たちの生き方を学ぶとともに、郷土の文化や伝統を大切にし、郷土愛を育んでゆくことが大切になってくるのではないでしょうか。
 郷土愛をもった子どもたちが成長してゆくことで、自分たちの住む地域に誇りをもち、先人の努力や郷土愛を継承し、そのような環境で育った子どもたちとともに、地域全体が一体感をもつことで、さらにその地域が発展してゆくと思います。


市内各学校での地域の伝統芸能の取り組み

現在三原市においても各地域の伝統芸能を、各学校の授業の中で取り組んでいる小学校が多くあります。




 上記の様な取り組みが行われています。このような取り組みを行うことによって、子どもたちが各地域の歴史や伝統を学ぶことにもなり、その地域の良いところに気づき、地域に愛着や誇りをもって育ってゆくと思います。
 これに加えて三原市全体を考える上では、各地域のみならず、もうすこし大きなくくりで伝統芸能を学ぶことによって、全市での一体感が生まれるのではないのでしょうか。


三原のアイデンティティ「やっさ踊り」

 皆さんは三原市といえば何を思い浮かべますか?合併後、三原市も広域地域となり、三原市を表現するものは、多くのものがあると思いますが、多くの方が最初に思い浮かべるものは「やっさ踊り」ではないでしょうか。
 やっさ踊りは永禄10年(西暦1567年)に小早川隆景が三原城を築城した際、それを祝って老若男女を問わず、三味線、太鼓、笛などを打ちならし、祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがはじまりと言われ、それ以来、大衆のなかに祝ごとは『やっさに始まり、やっさに終わる』習わしになったと伝えられています。
 毎年、夏になれば三原やっさ祭りがあり、老若男女を問わず多くの人たちが「やっさ踊り」を、三原駅前周辺で踊っています。
 近年、全国各地でよさこいソーラン踊りが踊られています。また、尾道みなと祭りではええじゃん・SANSAがりが非常に盛り上がっています。これらの踊りは、まちを元気にしてゆくのに大変効果のある踊りだと思います。
 しかし、「やっさ踊り」のように長い歴史はありません。「やっさ踊り」の歴史は440年を超え、三原市全体の歴史を語る上で切り離すことはできないと思います。そのような歴史、伝統をもつ「やっさ踊り」は現在、三原の「アイデンティティ」となるのではないでしょうか!


小早川家で繋がっていた旧1市3町

 皆さんはご存知ですか?地域主権型社会が進み、広域合併をした三原市の1市3町には共通の歴史があります。

 旧久井町には、天慶元年(西暦938年)に創建され,伏見稲荷大社の分霊としては日本最古の久井稲荷神社があります。社蔵の県指定重要文化財「大般若経六百巻」は、小早川隆景が寄進したものです。

 旧大和町には、鎌倉時代初期に土肥遠平(小早川家の祖)に嫁いだ源頼朝の娘、天窓妙仏の早逝を悼んで土肥実平、遠平親子が承久元年(1219年)に創建した、小早川家ゆかりの応海山棲真寺があります。

 旧本郷町には、建永元年(西暦1206年)に起こった源平合戦の時に源頼朝に仕えた土肥実平の子孫である小早川茂平が、東国(現在の湯河原町)から西国(現在の本郷町)に本拠を移した際に築城した高山城があります。また、天文19年(西暦1550年)毛利元就の三男隆景は沼田小早川家の繁平の養子となり、小早川隆景として天文20年(西暦1551年)高山城に入城しました。その後、小早川隆景は天文21年(西暦1552年)に、対岸の山に新高山城を新たに築いて本拠を移しています。

 旧三原市には、小早川隆景が永禄10年(西暦1567年)瀬戸内海の水軍を統率する為、水・陸の拠点であった三原湾に浮かぶ小島をつないで築城し、海に浮かんでいるように見えるところから浮城と呼ばれていた三原城があります。

 このように三原市の各地域は、合併する以前から小早川家を通じて繋がりがあり、三原市全体の歴史や文化を語る中で、小早川家は切っても切れないものがあります。今後、三原市が更なる一体感を強くしてゆく要素として、小早川家の歴史文化を中心に考えてゆくことは非常に有効なものではないでしょうか。


郷土愛を育むために「やっさ踊り」を!

 小早川家を通じて以前から繋がりのある旧1市3町の各地域が、今後更に一体感を強めてゆくためには、この三原の「アイデンティティ」である「やっさ踊り」を活用していく事が、最良の方法だと思います。
 三原市住む子どもたちは、自分たちの住んでいる各地域に対して愛着をもつのと同じように、三原市全体にも愛着をもってゆかなければならなりません。そのためには、各地域で地域の伝統や文化を通じて郷土愛をはぐくんでゆくことと同様に、三原市という地域においても歴史や、伝統、文化を通じて郷土愛を育んでゆくことが必要です。
 それでは、子どもたちが三原市の歴史や伝統、文化を学んでゆくためにはどうしたらよいでしょうか?
 まずは、前文で述べました様に、三原市には各地域を繋ぐ小早川家という共通のキーワードがあります。また、三原のアイデンティティである「やっさ踊り」を通じて、三原全体の歴史や文化を学んでゆければ、子どもたちは三原という地域に愛着を育み、誇りをもって育ってゆくと思います。


今こそ全小学校で「やっさ踊り」に取り組み
「やっさ祭り」に出場する環境づくりを!

 現在、各地域で積極的に「やっさ踊り」に取り組まれている地域もたくさんあります。同時に全く取り組んでいない地域もたくさんあります。子どもたちが同じ三原市という地域に住んでいることを実感し、郷土愛を育んでゆくためには、三原市全域で同じ意識をもってゆくことが必要なのではないでしょうか。

 三原市内の全小学校の教育の場で「やっさ踊り」に取り組むことによって、全ての子どもたちが三原全体の歴史や文化を学ぶことができます。そして、それらを次世代の三原を担う子どもたちに継承してゆくことができると思います。
 さらに、学校教育の場で「やっさ踊り」に取り組むことのみならず、それを足がかりとして、「やっさ祭り」への参加へつなげてゆくことにとても意義があると考えます。
 なぜならば、学校教育の場では、発表する場は学校内だけです。もしそれが、大観衆に囲まれて独特な熱気の中で子どもたちが踊ったときに経験する達成感があれば・・・。そして、他のチームと競い合う楽しさや悔しさを感じることが出来れば・・・・。もっと子どもたちにとって、感動的な思い出になるのではないでしょうか。また、そこに保護者や、地域の大人たちが関わってゆくことで、子どもたちだけでなく、大人も「やっさ踊り」を通じて一体感を強め、三原市に対する郷土愛をさらに深めてゆくことができるのではないでしょうか。そして、それは同時によりよい教育環境をつくってゆくことにも繋がってゆくと思います。

このような取り組みを行ってゆくことは、学校だけでは難しいかもしれません。また、保護者や地域の大人たちだけで行うのも無理なのかもしれません。しかし、学校・保護者・地域の大人たちがひとつの目的に向かい協力してゆけば、素晴らしい取り組みになります。
 想像してみてください。将来、三原に愛着をもった子どもたちが大人になり、三原をさらに元気にしてゆく姿を。

今こそ、全小学校で「やっさ踊り」に取り組み、そして「やっさ祭り」に出場し、子どもたちの輝きと郷土愛、三原市民のアイデンティティと一体感を感じながら未来の三原市を確立して行きましょう。(社)三原青年会議所は、今後もこの提唱をする為、挑戦しつづけます。


全小学校で「やっさ踊り」に取り組み、「やっさ祭り」に出場できる環境づくりを目指して! 
放課後子ども教室で「やっさ踊り」に取り組んでいます!! 〜久井南小学校〜
みたかきいたか(連載コラム)




「やっさもっさ」PDF版
5月号 1面 2〜3面 4面

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