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全小学校で「やっさ踊り」に取り組み、 |
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子どもたちが地域に愛着、誇りを持たなければならない 昨今、テレビや新聞の紙面を騒がす青少年の凶悪犯罪や、いじめなどの利己主義的な事件が、全国各地で毎日のように発生しています。これらの事件は決して他人事ではなく、同じような事件が私たちの身近なところで起きても何ら不思議ではありません。 市内各学校での地域の伝統芸能の取り組み 現在三原市においても各地域の伝統芸能を、各学校の授業の中で取り組んでいる小学校が多くあります。 ![]() ![]() 上記の様な取り組みが行われています。このような取り組みを行うことによって、子どもたちが各地域の歴史や伝統を学ぶことにもなり、その地域の良いところに気づき、地域に愛着や誇りをもって育ってゆくと思います。 三原のアイデンティティ「やっさ踊り」 皆さんは三原市といえば何を思い浮かべますか?合併後、三原市も広域地域となり、三原市を表現するものは、多くのものがあると思いますが、多くの方が最初に思い浮かべるものは「やっさ踊り」ではないでしょうか。 小早川家で繋がっていた旧1市3町 皆さんはご存知ですか?地域主権型社会が進み、広域合併をした三原市の1市3町には共通の歴史があります。 旧久井町には、天慶元年(西暦938年)に創建され,伏見稲荷大社の分霊としては日本最古の久井稲荷神社があります。社蔵の県指定重要文化財「大般若経六百巻」は、小早川隆景が寄進したものです。 旧大和町には、鎌倉時代初期に土肥遠平(小早川家の祖)に嫁いだ源頼朝の娘、天窓妙仏の早逝を悼んで土肥実平、遠平親子が承久元年(1219年)に創建した、小早川家ゆかりの応海山棲真寺があります。 旧本郷町には、建永元年(西暦1206年)に起こった源平合戦の時に源頼朝に仕えた土肥実平の子孫である小早川茂平が、東国(現在の湯河原町)から西国(現在の本郷町)に本拠を移した際に築城した高山城があります。また、天文19年(西暦1550年)毛利元就の三男隆景は沼田小早川家の繁平の養子となり、小早川隆景として天文20年(西暦1551年)高山城に入城しました。その後、小早川隆景は天文21年(西暦1552年)に、対岸の山に新高山城を新たに築いて本拠を移しています。 旧三原市には、小早川隆景が永禄10年(西暦1567年)瀬戸内海の水軍を統率する為、水・陸の拠点であった三原湾に浮かぶ小島をつないで築城し、海に浮かんでいるように見えるところから浮城と呼ばれていた三原城があります。 このように三原市の各地域は、合併する以前から小早川家を通じて繋がりがあり、三原市全体の歴史や文化を語る中で、小早川家は切っても切れないものがあります。今後、三原市が更なる一体感を強くしてゆく要素として、小早川家の歴史文化を中心に考えてゆくことは非常に有効なものではないでしょうか。 郷土愛を育むために「やっさ踊り」を! 小早川家を通じて以前から繋がりのある旧1市3町の各地域が、今後更に一体感を強めてゆくためには、この三原の「アイデンティティ」である「やっさ踊り」を活用していく事が、最良の方法だと思います。 今こそ全小学校で「やっさ踊り」に取り組み 現在、各地域で積極的に「やっさ踊り」に取り組まれている地域もたくさんあります。同時に全く取り組んでいない地域もたくさんあります。子どもたちが同じ三原市という地域に住んでいることを実感し、郷土愛を育んでゆくためには、三原市全域で同じ意識をもってゆくことが必要なのではないでしょうか。 三原市内の全小学校の教育の場で「やっさ踊り」に取り組むことによって、全ての子どもたちが三原全体の歴史や文化を学ぶことができます。そして、それらを次世代の三原を担う子どもたちに継承してゆくことができると思います。 このような取り組みを行ってゆくことは、学校だけでは難しいかもしれません。また、保護者や地域の大人たちだけで行うのも無理なのかもしれません。しかし、学校・保護者・地域の大人たちがひとつの目的に向かい協力してゆけば、素晴らしい取り組みになります。 今こそ、全小学校で「やっさ踊り」に取り組み、そして「やっさ祭り」に出場し、子どもたちの輝きと郷土愛、三原市民のアイデンティティと一体感を感じながら未来の三原市を確立して行きましょう。(社)三原青年会議所は、今後もこの提唱をする為、挑戦しつづけます。 |
全小学校で「やっさ踊り」に取り組み、「やっさ祭り」に出場できる環境づくりを目指して!
放課後子ども教室で「やっさ踊り」に取り組んでいます!! 〜久井南小学校〜
みたかきいたか(連載コラム)